セルフストーリー

広く浅く自らのことを徒然のままに


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身体表現性自律神経機能不全で休職から退職

休職と退職

休職へのきっかけになったのは突発性難聴が始まりでした。ある日目が覚めると左耳が、聞こえません、何かに塞がれているような感覚です。耳鳴りもひどく年中耳の中からキーンとした音が聞こえてきて、まるでセミを耳の中で飼っている様な状況です。

何気ない日常を送っていた私にとってこの変化はストレスフルな状況でした。仕事は休まず続けていましたが、他の人の言葉が聞こえにくく、とても会話が成立する状況ではありませんでした。今は、耳鳴りにはやや慣れましたが、左側からの声掛けには聴きずらさがあります。

騙し騙し会社に通っていましたが鬱になり一度目の休職を選択することになりました。この時に提出した診断書は「双極性障害」です。耳鳴りからの眠れない状況が続き心因性の病気が発症したのかもしれません。半年ほど休職し復職しましたが、突発性難聴以前の普通の仕事ができなくなりました。最大の要因はコミュニケーションに支障があるからです。指示や部下からの相談事など話す場面で聞き取りづらくストレスが半端ない日々が続きます。

再び体調もおかしくなり2度目の心療内科を訪ねることになります。ストレスが大きな原因に間違いないと思い迷わず門をくぐりました。

主訴は、耳鳴り、37度の微熱、下痢、不眠、倦怠感です。医師の診断結果は「身体表現性自律神経機能不全」だそうです。中でも倦怠感が非常に辛く立っていることもままならない状況でした。会社に行くも早退や欠勤が目立つ様になり再び休職とあいなりました。休職中は20分程度の身の回りの事はできても疲労でそれ以上の活動ができません。医師の治療方針は睡眠をきちんと取れるようにすることと意欲の改善を図ることを投薬治療で改善していくことが目標です。そんな治療を続けていましたが、1年が過ぎ改善しない状況で医師に回復の目処を聞くとあと2年くらいは、かかるかもしれないとのことで休職期間満了の1年6ヶ月をすぎそうなので退職することとしました。

経済的なこともありますが、期間満了までに復職できない目処を聞いた時退職を決意した次第です。その後会社には通えないので郵送と社内メールでのやり取りで退職手続きを進めました。幸い人事が主導となり一連の手続きもスムーズに進み無事退職まで進むことができました。

現在の状況も休職時からそれほど大きく改善したわけではありませんが、他人との関わりが少ない分ストレスが減っており眠れることも以前よりかは増えています。活動の幅が狭いことにより疲れやすい体を労わりながら軽度の作業をこなす日々を送っています。自律神経関連はストレスからの発症も多いと聞きますが、こうしてみると「突発性難聴」が大きな転機になったとしか考えられません。

現在自律神経に関わる体の症状と向き合いながら治療を進めています。

数年間には定年前に退職しているなんて考えもしなかったことですが、現実は厳しかったです。人生どこに落とし穴があるかわかりません。もちろん体調だけが全てではありませんが急な退職をしなければならなかった事を残念に思う気持ちが大きいですが、こうして休職から退職へと進んできたわけです。1000文字では表せない種々雑多なここでは書けないことも経験しましたが体調復帰に向けて、これからも治療を続けていく予定です。

思わぬ退職に至った経緯を簡単にまとめました。参考になる方がいれば幸いです。



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